1980年 | 学校開校と同時に第1期生の有志によって創部。初代監督に矢吹浩二先生就任。ファーストジャージーは紫紺。後に濃紺になり左袖に2本の白いラインが入る。 |
1982年 | 2代目監督として佐藤正行先生(前校長)就任。同時に早稲田大学でフランカーとして活躍した佐藤勲先生をコーチに迎える。 |
1984年 | 新人戦県大会において3,4期生によって創部初の県ベスト4入りを果たす。前年度全国大会予選千葉県優勝の千葉東高校を破る大金星として新聞にも大きく取り上げられた。『目立つ選手はいないが、基本に忠実でよく走るチーム』というチームの目指すべき形が出来上がる。 |
クラブ棟完成。グランドにラグビーポールが立つ。佐藤勲先生転勤。 |
秋の全国大会予選において1,2年生のみのチームで県ベスト16入り。 |
1988年 | 副顧問に高杉峯樹先生を迎える |
1990年 | 男女共学化。初代マネージャーに川西(旧姓)陽子さん。高杉先生は他の部へ |
1993年 | 3代目監督(現監督)に平林浩史先生就任。セカンドジャージーを作成。カラーは白 |
1994年 | 部員不足により7人制大会に出場 |
1995年 | 高校時代CTBとして、全国制覇した茗溪学園と茨城県決勝で戦った濱田正之先生をコーチとして迎える。 |
1996年 | 父母有志より『覇気』と記された旗を贈呈。 |
オール千葉代表候補として川鍋幸治君、高畑秀司君が選出される。 |
1997年 | 濱田正之先生転勤。 |
1998年 | ファーストジャージーが現在のロイヤルブルーに一新。同時にチームカラーをブルー×レッドに変更。フランスラグビーのような閃きを大切にする部分と冷静の青、情熱の赤を持ち続けたいという意味が込められている。 |
この年3年生の渡部周一君(筑波大進学後アメフト部で活躍)、松村久幸君(早稲田大学進学後ラグビー部に所属)が秋の大会まで現役として活躍。部長に松原誠司先生就任。 |
合宿地を山中湖から菅平に変更。宿舎は菅平プリンスホテルに。 |
オール千葉代表候補に松村久幸君が選出される。 |
1999年 | 中学校開校。中学ラグビー部は創部されず。 |
セカンドジャージーをセカンドカラーの赤に変更。主将の渡辺悟史君(北海道大学進学)を中心に3年生5人が秋の大会まで現役として活躍 |
オール千葉代表候補に小芝淳君、中村章二君が選出される。 |
2000年 | 創部以来初めて3年生が全員秋の大会まで現役として活躍。3大会連続での |
県ベスト16入り |
オール千葉代表候補に加藤暢君(立教大学進学)、佐伯恭平君(立教大学進学)が選出される。 |
2001年 | 20期生を中心に新人戦県大会において17年ぶりのベスト4進出を果たす。 |
春の関東大会千葉県予選において創部初のベスト4入り |
秋の全国大会千葉県予選において創部初のベスト8入り。ファーストジャージーを現在の秋の大会及び各決勝戦用のポリエステルジャージーに、同時にセカンドジャージーも現在の青×白に。 |
オール千葉代表候補に佐伯恭平君、江崎弘晃君(立教大学進学)、西元気君(芝浦工大進学)、石井秀明君(立教大学進学)が選出される。 |
2002年 | 芝浦工業大学柏高等学校ラグビー部父母会発足。応援用小旗の贈呈。 |
新人戦、春の関東大会予選ともに千葉県ベスト4、全国予選ベスト8 |
オール千葉代表候補に藤代隆正君(芝浦工大進学)、原賢一郎君(芝浦工大進学)が選出される。関東都県対抗戦出場。 |
2003年 | 春の関東大会予選において創部初の決勝進出と共に関東大会出場を果たす。関東大会では東京代表の保善高校から貴重な白星を挙げる。部旗を作成。 |
秋の全国大会予選において創部初のベスト4入り。 |
オール千葉代表候補に常木波彦君(アメリカ留学)、茂木圭史君(早稲田大学進学)、高見澤涼君(早稲田大学進学)、が選出される。関東都県対抗戦出場。 |
2004年 | 新人戦千葉県大会準優勝。関東新人大会出場。 |
関東大会千葉県予選準優勝。2年連続での関東大会出場。 |
オール千葉代表候補に中野裕介君(芝浦工大進学)、平川泰裕君(法政大学進学)が選出される。 |
父母会より『PRIDE PASSION RESPECT』の横断幕、学校名ののぼりの贈呈 |
秋の全国大会予選において創部初の決勝戦進出。準決勝も含め、TV放映。 |
2006年 | オール千葉正選手にキャプテンの川上剛洋君が選出され、国体関東ブロックに出場。本校初の快挙となる。 |
2007年 | オール千葉代表候補に山下剛君が選出される。関東都県対抗戦出場。 |
関東大会予選において3回戦敗退。20期生から19大会連続で守ってきたシード権を失う。 |
秋の全国大会予選で予選リーグから勝ち上がり準決勝進出を果たし、シード権を取り戻す。準決勝の模様は千葉TVにて放映。 |
応援用マフラータオル完成。以後父母会にて公式戦応援時に使用される。 |
2008年 | オール千葉代表候補に五十嵐清重君が選出される。関東都県対抗戦出場。国体選手にも選出されるが出場はならず。 |
新人戦県大会において1回戦敗退。再びシード権を失うものの関東大会予選で準々決勝進出。シード権を奪還する。 |
秋の全国大会予選で2年連続の準決勝進出。千葉TVにて放映。 |
U-17関東ブロックトレセン及び高校日本代表一次候補選考会に、2年生の米岡晋之介君が派遣される。本校初の快挙。 |
U-17千葉県選抜チームにバイスキャプテンの五十嵐清重君が選出。関東都県対抗戦に出場。 |
第16回日本・中国・韓国ジュニア交流競技会千葉県チームに川崎寛二君が選出され中国代表戦、韓国代表戦出場。キャプテンの米岡晋之介君も選出されたが怪我のため辞退。 |
2009年 | 国体関東ブロック千葉県選抜チームにキャプテンの米岡晋之介君、川崎寛二君、2年の加藤紀明君が選出された。新潟国体関東ブロック大会に出場。また加藤君は2年生ながら千葉県代表に選出され新潟国体に出場。 |
2010年 | U-17千葉県選抜チームに加藤紀明君が選出。選抜チームでのキャプテンに指名され,関東都県対抗戦に出場. |
2011年 | U-17千葉県選抜チームに中島知也君、松坂駿樹君が選出。関東都県対抗戦に出場。 |
2013年 | U-17千葉県選抜チームに前田和大君が選出。関東都県対抗戦に出場。 |
第一グランドの人工芝化工事が行われ5月23日竣工。 |
2014年 | U-17千葉県選抜チームに牧野開君、築比地康平君が選出。関東都県対抗戦に出場予定であったが大雪のため大会が中止となる。 |
2015年 | U17千葉県選抜チームに矢口幸彦君が選出。関東都県対抗戦、対山梨戦に出場を果たす。 |
アプローチ道路、第3グランドの新設工事が行われ、5月15日に竣工。 |
2016年 | U17千葉県選抜チームに加藤祥真君、清水北斗君が選出。関東都県対抗戦、対東京戦、対神奈川に出場を果たす。 |
2017年 | 第1グラウンド及び第1テニスコートに照明設備新設工事が行われ9月5日竣工。 |
2018年 | U17千葉県選抜チームに河田雄大君が選出。関東都県対抗戦に出場を果たす。 |
2019年 | 学校後援会よりサッカー部、ハンド部共用の試合用デジタルスコアボードが寄贈される。 |
2022年 | 父母会より、ロゴマーク入りの大型テントを2張り贈呈。 |
応援用うちわの完成。練習試合での応援に使用される。 |
2025年 | 第1グラウンド人工芝張り替え工事が行われ、3月13日竣工。 |