手
賀
沼
と
は
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手賀沼の歴史
歴史を説明

縄文時代前期(約5000年前),手賀沼のあたりには太平洋から湾が入りこんでいました。現在の手賀沼の周辺にはそのころの住居跡や貝塚(縄文人のゴミ捨て場)が残っていて,貝塚からはサメの骨やハマグリの貝殻などが見つかっています。
江戸時代初期,東京湾に注いでいた利根川の流路を東に変え,香取海を通して銚子方面へ流すことになると,利根川から運ばれた土砂の堆積によって手賀沼は湖沼化が進みました。それ以後,手賀沼は人の手によりその姿を変えられていきます。
国の干拓事業とほぼ時を同じくして,柏市,松戸市など手賀沼の周辺(上流域)では大きな住宅団地や工業団地などの開発が進み,人口が急増しました。その結果,湧水などの自然の水源が減る一方で,大量の生活排水が手賀沼に流れ込み,沼の水質は昭和40年代から急速に悪化していき、昭和49年から27年間連続して日本で最も汚れた沼となっています。(日本で最も汚れた沼であったのは平成13年度まで) このような歴史もあります。
※汚れの原因は、H7年までは生活系でしたが、平成17年には、市街地、農地などの、自然系が最も多くなってきています。