■巻頭■

 非戦論と合気の術法について
学校長  菅沢  茂
 一昨年、NHK大河ドラマ「八重の桜」が放映された。明治維新前後東西の動乱が描かれ、その中に非戦論の代表として旧会津藩家老西郷頼母(サイゴウタノモ)が登場していた。この西郷、すなわち戊辰戦争(1868年)後に保科近悳(ホシナチカノリ)と改名した人物が、現代合気道のルーツ大東流柔術の口伝「合気」を現代に伝えたと言われている。三尺ダルマというほど小柄で風采の上がらぬ国家老西郷頼母の非戦論と合気の術法について、いささかお伝えしたいと思う。
 幕末の会津藩主松平容保(カタモリ)が、孝明天皇から朝敵掃討のため京都守護職を拝命しようとしたとき、国元にいた頼母は徹底して反対し藩主に嫌われた。彼は藩祖保科正之(2代将軍秀忠の弟)直系の子孫として、会津藩の保全を最大の使命とし藩の疲弊と薩長西軍の報復を恐れたからである。一方、美濃高須藩松平家から婿入りした容保は、同じく高須松平家から桑名藩の養子に入った実弟で後の京都所司代定敬(サダアキ)とともに、形骸化した徳川の体制を支える最後の拠り所として会津藩の武力を利用したものである。結局、頼母の非戦恭順論は頑固な主戦論一派の勢いに抗しきれず、頼母は主命により城から追放されて最後は函館の五稜郭で敗戦を迎えた。
 当時、会津盆地目掛けて四方から攻め入る西軍に対抗し会津藩士が各峠に進軍した。しかし、かえって本拠地の守りが手薄となり、中山峠に向かうと見せかけた板垣本隊の陽動策にはまって、ついに母成(ボナリ)峠越えの奇襲に敗れてしまった。本来、藩主のお側警護役であった若年の白虎隊が出陣し、雨中に悲惨な最期を遂げたのもこのためである。籠城と敗戦後の経緯は周知のとおりで、凄惨きわまり聞くに耐えない明治新政権の扱いであった。敗者は不遇である。
 戦後頼母は死に場所に恵まれず教育職や神職を営み、後に東照宮の名ばかり宮司となった容保を禰宜(ネギ)となって補佐した。その間、同族の西郷隆盛らと連携して旧士族の不満を晴らそうとしたが失敗し、不遇のうちに城下の十軒長屋で亡くなったという。
 彼の非戦論は最近とみに注目されつつあるが、その思想の根幹が実は日本伝統高級柔術の合気の技法に含み込められている。すなわち、敵が掴み打ち刺そうとする一瞬、敵の力を流さず逸らさず一歩出て正対し、触れた刹那敵の芯に技を掛けて無意識の領域を侵し、一旦敵を忘我不動とさせて、こちらから仲良くしようと声を掛け大円融和を目指す術理がそれである。筆者のおこなう大東流合気柔術に顕著な特長だといえる。
 筆者は小学4年から町道場で柔道を始め、その後中学高校と中断したものの、再び大学で4年間一心不乱に柔道に明け暮れた。そんなある時、新渡戸稲造著『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)を読んでいると、昔の柔術を見事に定義した一節があり驚いた。
 すなわち、「柔術は之を簡単に定義すれば、攻撃および防御の目的に解剖学的知識を応用したものと言い得よう。それは筋肉の力に依存しない点において角力と異なる。また他の攻撃の法と異なり、何等武器を使用しない。その特色は敵の身体のある箇所を掴み、もしくは打ちて麻痺せしめ、抵抗する能はざらしむるにある。その目的は殺すことではなく、一時活動する能はざらしむるにある」とあった。英文『武士道(Bushido, the Soul of Japan)』は、1899(明治32)年の著述である。
 「日清戦争の4年後、日露戦争の5年前であって、日本に対する世界の認識の、なおいまだ極めて幼稚なる時代であった。その時にあたり博士が本書に横溢する愛国の熱情と該博なる学識と雄勁なる文章とをもって日本道徳の価値を広く世界に宣揚せられたことは、その功績三軍の将に匹敵するものがある。本書が世界の世論を刺激し、広く各国語に翻訳せられたるもまた当然である。」と訳者序にあるとおり、本書が日本文化の価値を武士の精神によって表そうとしたものであることが分かる。
 筆者は大学生の当時、掴み合うところから始まる近代柔道に疑問を抱き、100kgを超える相手に立技で苦労していた折でもありこの明快な定義に脱帽した。「柔よく剛を制す」という技の世界が本当に存在する、ということを信じるきっかけとなり、ますます伝統柔術への想いが高まった。
    しるや人 川の流れを 打(ウタ)ばとて
      水に跡ある ものならなくに
 この和歌は1898(明治31)年、福島県霊仙(リョウノセン)神社で頼母が武田惣角という武芸者に書き与えたものである。筆者はこの歌を、武技の巧拙を超え人生一般の過程を川の流れに例え、これを滞らずに生きよとの思想を含めた教訓だと受け止めている。武法上の解釈をすれば、「しるや人」とは、惣角及び筆者ら後進への呼び掛けである。また、川の流れとは敵と我を同時に指している。すなわち、彼我双方が常に動いているから、どこへなり心を留めて打ってはならぬということだ。しかも、敵の斬撃に対して川の水面のごとくに対応し、敵も我も共に傷つけるなというのである。このことは合気柔術の極意であり合気妙境を示した至言であることから、惣角への印可(極意を得た者に与える免許)だとも考えられる。
 日本伝高級柔術(やわら)の特長は、新渡戸稲造による定義のとおり徒手対武器の実戦においても敵を無傷に制圧する技と精神にある。とくに大東流合気柔術は、合気口伝によって彼我共に自然に打ち解け大円和を目指す高等な術理を秘めており、世界的に見ても稀有な平和志向の武術である。形から入って心の修養に至ろうとする教育であり、人間形成の常道を示す高級武術といえよう。このことは、徳川将軍家のご流儀である上泉伊勢守信綱を流祖とする新陰流兵法の理念に近いものがある。いまからでも、このような品の良い教育武道を様々な人間陶冶の場面で活用してもらいたいと願っている。