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吉丸 千晴
 今年は桜の開花が遅れたので、新しい門出のスクールバスからの眺めは素晴らしかったことでしょう。私が芝柏に着任した時はまだ新柏駅からの道路は未整備で建物も無く、そのころ植えられた小さな苗木は、今見事に桜並木に成長しました。25年間過ごした芝柏保健室での時は、悲しいこと辛いことは、楽しいこと感動したことに薄められ消されていきます。どんなにうまくいかない時でも精一杯取り組めば、時が過ぎ必ず成長に繋がる結果がでると信じています。
 
 堀井 美穂
 私は教員として芝柏に約6年間いましたが、毎日がとても充実していました。皆さんと授業や部活を通じて、色々な経験をすることができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これから、私は愛知県の私立学校で教員となり、皆さんと少し離れてしまいます。しかし、きっと何処かで会えるような気がしています。その時はきっと皆さんは今よりも成長しているでしょう。その時を楽しみにしいます。本当に今までありがとうございました。

 伊藤 優一
 遅咲きの桜を眺めると遅咲きだった芝柏周辺の梅を思い出す…柄ではないですね。みなさんお元気ですか?私は新たな環境で不慣れながらも心機一転頑張っています。年度初めはそれぞれが新たな目標を定め、それに向かってスタートをするのにうってつけです。みなさんの頑張りを直接見られないのは残念ですが、再び出会える日を信じてその成果を楽しみに待っています。お互いにガンバロー!



 杉崎 恵美子
 芝浦柏中高事務室の窓口で2年間楽しく勤務させていただきました。芝柏の生徒はいつも礼儀正しく活発な子が多かったように思います。10代の貴重な6年間、たくさんの友人とたくさんの思い出をこれからも作ってください。お世話になりました。

久保田 照幸

大森 真穂





 「こんなはずではなかった」学校
5期生  内田 利一
 「5期生の内田です」「いやー、久しぶりだねぇ」。仕事で芝浦工業大学校史編纂室に電話をしました。その際に昔の担任と交わした挨拶です。こんな会話が成り立つ時OBでよかったと思います。
 それにしてもこの先生、工業高校から地方の進学校に入り直し、一橋大学に進学、朝日新聞社に入社するも、予備校講師などを経て、附属一高の英語の先生になりました。芝柏開校に合わせ異動、教員を続けつつ筑波大学大学院修士を修了。行けばいつでも会えると思っていたのに、教え子には何の断りもなく今度は芝浦工大の職員です。この転身ぶりは見事です。人からどう見られるかよりも、自身の人生をどう充実させるか。尊敬できる恩師です。
 一方私自身は、代ゼミで一浪、早稲田大学教育学部に進学。NHKディレクターを経て、現在は立教大学職員です。学生部や広報渉外部で経験を積み、今は総長室にいます。高校と大学をつなぐ仕事(高大連携)をしています。“一流のジャーナリスト”を志していた高校時代の私からすれば「こんなはずではなかった」人生です(笑)。
 僕らの時代芝柏は高校のみの男子のみ。増尾駅から柏南のセーラー服を横目に登校する日々。教室の扉を開けば男子50人がズラリ。県立高校落ちの私は毎朝頭を抱えました。皆さんは中受2月1日校落ちですか? 東葛落ちですか?正直、今、「こんなはずではなかった」と思っていませんか?
 四半世紀前の芝柏には「変な先生」がたくさんいました。大学を出てすぐ教員にならなかった方々です。いい大学に入り、いい会社に入るのが一生安泰モデルの時代に「こんなはずではなかった」のオンパレードが私たちの目の前にいたのです。
 最近Facebookを通じて旧友と再会する機会があり、そこで芝柏の良さは何だったのか語らいました。それは、変化への恐怖を乗り越える力、異なるものを受容する力を、先生自身の人生から教わったことでした。青春の初めに、こんな学校に入るはずではなかった、そう思って入った学校での体験が、巡り巡っていい意味での「こんなはずではなかった」人生を、私に与えてくれました。
 開校30年余。母校の変化も著しいことでしょう。僕らの時は東大に入る人などいませんでした。すごいなと思う一方、心配しています。「こんなはずではなかった」免疫を育む伝統が色あせてないかと。もしそうだとしたら思い出して下さい。「こんなはずではなかった」と思ったその時にこそ、逃げずに生きてみる。すると不思議なことにとても楽しい出会いが待っています。大学名なんかじゃ人生何も決まりはしません。皆さんはまだ始まったばかり。これから多様な「こんなはずではなかった」時を重ね、豊かな青春を味わって下さい。