■巻頭■

 リスボン、1755年
副校長  野村 春路
 1755年11月1日午前9時40分ごろ、西ヨーロッパの広い範囲に強い揺れが起こり、特にポルトガルのリスボンを中心に大きな被害が出た。大きな揺れで石造建築が崩壊し、本震から約40分後に大津波が来る。さらに火災も起きて5日間燃え続けた。津波による死者1万人を含む約6万人が亡くなった。推定のマグニチュードは8.5、リスボン大震災と呼んでいる。この後がどのようであったかというと、国王の寵臣で下級貴族出身のポンバル侯爵が実権を握り、上層貴族層と教会勢力を抑え込み、約20年間の独裁体制を布いた。18世紀中頃のヨーロッパは啓蒙主義の時代であり、彼も啓蒙的専制政治を断行した。首都の都市計画を立案・実行し、中産階級・ブルジョワジーを擁護し、ユダヤ人の解放、植民地外での奴隷制廃止、行政と経済の体制再編といった改革を行ったのである。これらの改革は、地震という国難を契機として断行できたことである。しかしポルトガルの国勢は、アジア、ブラジルなどへ進出した絶頂期の16世紀以来、この頃衰退に向かっており、この地震がさらに追い討ちをかけることになった。1760年ごろよりイギリスが産業革命期に入り、国内産業の近代化に遅れていたポルトガルはイギリスの経済圏に組み込まれて行く。その動きに対抗するかのようにフランスはポルトガルとその海外植民地貿易を狙い、1807年にナポレオン軍が侵攻をする。それに対し王室はフランスの侵攻を避けるため、イギリス海軍の力を借りて、首都をリスボンからブラジルのリオデジャネイロに1821年まで移すことになったのである。

 夢の仮説
副校長  久保田剛司
 分子生物学者である青山学院大学教授の福岡伸一さんが、3月1日の朝日新聞に興味深い一文を寄せていました。17世紀、顕微鏡を発明したレーウェンフックは絵が上手に描けなかったので、あの「真珠の首飾りの少女」で知られるフェルメールにスケッチを依頼していたのではないか、というものです。もちろん直接的な証拠はありませんし、フェルメールは素描を残していません。しかしフェルメールのファンである福岡さんは、この仮説を裏付けるべく特別許可を取って英王立協会に赴き、スケッチの原本を見て確信を持つに至ります。2人は17世紀オランダの小都市デルフトに生まれ、交流を示す記録はないものの、奇しくもフェルメールが若くして世を去った翌年から、スケッチがそれまでの艶やかな陰影に富んだものから、単調な線描に一変してしまいます。更に、レーウェンフックはフェルメールの遺産管財人を務めたことが分かっています。
 関心のない人にとってはどうでもいいことでしょうが、私には福岡さんの興奮が手に取るように伝わってきました。きっとこの仮説が閃いたとき、ワクワクしたに違いありません。歴史を紐解いてみると、こうした小さな発見を諦めずに追求し続けたことが、後にノーベル賞をはじめとする成果に結びつい例は枚挙に暇がありません。みなさんも、自分の夢の仮説を見つけてみませんか。

 日々、考える「学習」量を積み重ねよ
教頭  杉浦 正和 
 新しい出発。
 日本にとっても、芝柏にとっても。
 新しい決意。
 まだ見えない確かな日常に向けて。
 毎日が学ぶ喜びに向けて。
 私は一応「文系原発専門家」であり、3.11事故に言いたい点多々あるが、「想定外」をも考える欧米的発想の必要性のみ指摘したい。さて、芝柏の高三生と話すと、危うい現役生ほど「大丈夫、何とかなります」と言う。この平和ボケ感覚では、受験戦争はもちろん、国難を乗り越えようとする日本社会で生き抜けないのである。さらに、大学側、特に東大は入試問題の様式を次々と変えてくる。問題傾向に習熟して得られた「得点力」が本当の力ではないからである。どんな問題も解決できる力をつけるには、日々の鍛練、常に頭を使う姿勢が重要。難しい本を読み日々新聞を読むことも含めた、日々の「学習」量が決定的なのである。

 防災の見直し
教頭補佐(中学)  三上  満 
 3月11日の震災は東北とは比較にならないものの、本校でも生徒41名の宿泊にはじまって、試験ができない科目が出るなどの影響がありましたが、前任職の総務部時代に立案した防災体制の是非が検証された貴重な経験でもありました。有効だった点は備蓄非常食が役立った事。校内自動販売機のパンの配給と売店の伊能さんのお握り炊出しもあって、食事はなんとかなったのですが、放課時の発生だったことが、授業中の訓練を専らにしてきたことの弱点をいくつか露わにしました。中でも一番の問題点は帰宅途中で帰れなくなる生徒の発生が想定外だったこと。当日は柏の小学校や果ては塾で夜を過ごした生徒がいて家庭でも御心配があった様ですが、そうした人を含めて、校外の被災者の把握をどう迅速に行うかが今後の大きな課題となっています。

 初心にかえる
教頭補佐(高校)  佐藤 文博 
 何よりもまず、この度の地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。4月1日、通勤に使用している道が復旧しました。地震直後から通行止め、片側通行が続いていましたがようやく全面通行可能になりました。柏に住んでいる私は幸運にも大きな被害を受けることなく今に至っております。あらためて普通の生活に感謝し、生きることのありがたさを痛感しています。さて、新年度を迎え、初心にかえって自分にできることは何かを考えてみました。今の私ができることは目を輝かせて勉強しようとしている子供達と共に学ぶことだと思います。その子供達と芝浦柏で一緒に勉強ができることを幸せに思います。学校は人と人とが共に学び、遊び、悩みながら成長していく場です。私も皆さんとこの場で共に成長していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。