■巻頭■

 市民性の育成と生徒会活動
学校長  菅沢   茂 
 3.11巨大地震の余震や計画停電、鉄道の運休などの影響を想定し、本校では3.12から3.22まで生徒を自宅待機とした。その後23日、中学校卒業式当日の会場近く、中学の卒業生を含む生徒有志が募金活動をする姿に接した。このようなボランティア活動をいち早く企画し、義援金を日本赤十字社に送った中高の生徒会を称賛したい。
 この機会を借りて、現在の生徒会活動が日本に導入された歴史と背景を概観したい。
 戦後日本の教育は、アメリカの新教育運動の理念を根幹とし、国民主体の民主主義体制を基調とする教育観によって一変した。そして、教科中心の伝統的な知識偏重の教授法は、子どもの試行錯誤の活動過程を大切にする「問題解決型」の学習法へと転ずることになった。この背景の中で、従来課外活動として放置されていた生徒の諸活動を、正規の教育課程内に編成し直し、現在の「特別活動」の前身が誕生したものである。
 中でも「生徒会」は、民主的な選挙活動等の模擬的な社会生活の訓練を通して、市民性・社会性を育成することを主眼に登場した。生徒会は本来、学校におけるすべての生徒活動を計画、調整し統括する役割をもち、学校全体の活気を育み、校風を確立するために不可欠の分野である。さらに、その教育的価値を生徒側の視点で見直すと、生徒の学校生活を快適に向上させることが最も大切であり、それによって、希望にあふれた意欲的な生徒を育成することが根本的な目標にほかならない。
 「生徒会とは、学校活動の一般的統制(管理)に児童生徒が参加する組織の言いである。」と飯田芳郎は生徒会を定義している。すなわち生徒会活動とは、教師の指導性と生徒の自主性との相剋を超えて、あくまで学校経営における管理的機能の一部権限を、生徒が学校長に委譲されて行う生徒中心の活動といえる。
 新制高等学校の主目標は、「社会的公民的資質の発達」、「個人的能力の最大限の発達」及び「職業的能力の発達」について述べている。そして、これらの基礎となった新教育の特色を飯田は次の5項目にまとめている 。
 第一は、「全人的教育」である。それまで、知識の注入教育のために学校教育が青少年にとって無味乾燥な興味の薄い存在になっていたのではないか。そこで伝統的教育観から脱皮し、幅広い教養の育成を目指した全人陶冶の理念に基づくことが大切であった。
 第二は、「市民性・社会性の形成」である。教科の枠にしばられず、実際的傾向の強い生徒活動 が、Citizen shipの形成に最も有力な教育の場を提供したものである。
 第三は、「個性の伸長」である。民主主義教育の達成には、個人を生かすことが不可欠である。そのために生徒の個人的欲求を満たすべく、自発的に組織されてきたものが生徒活動である。
 第四は、「為すことによって学ぶ」であるが、これは生徒活動の方法そのものである。
 第五は、「カリキュラムの統合」である。単なる教材の統合ではなく、生活経験の統合を理想とするものである。
 これらは、学習者中心カリキュラムの特徴そのものであり、前述したように特別活動の教育的価値の追求が、そのまま新教育の特色そのものであったことになる。この学習者中心カリキュラム、つまり問題解決法の学習形態による経験カリキュラム理論は、本来特別活動面で効果を発揮する面が強かった。例えば昭和26年の『学習指導要領一般編(試案)』では、「……高等学校が、新しい教育に熱意をもっているかどうかは、この特別教育活動(当時)をどのように有効に実施しているかどうかによって、察することができるといえよう。」と述べて、新教育における特別教育活動の重要性を指摘している。そしてさらに、教科の学習に重点を置く余りに特別教育活動が軽視されることがないようにと補説している。また、経験カリキュラムの実際的な組織、運用について詳述し、教育現場への新しいカリキュラム観の導入を図っている。
 しかし、占領下における学習指導要領は、「試案」の文字が付され、ある意味では一種の参考書に過ぎなかったといわれるように、占領政策の制約を離れた国の基準は、昭和35年の全面的な改訂をまって初めて完成された。そしてこのころから、能力主義政策に基づいた教育制度改革が進展し、学習指導要領の内容も再び教科に主眼を置くものに移行したのである。
 しかし、生徒会活動の学習過程は、もとより実社会の模擬的な訓練を自主的な協同活動を通して行うものである。それゆえ、生徒の生活経験に依拠した方法によらざるを得ない。そこに即時的な効率を求める社会的傾向と、特別活動本来の価値の追求との間に矛盾が生ずる原因があって、このことがまた生徒会活動運営上の限界ともなっている。
 例えば、「もし生徒会がその目標を達成すべきものであれば、校長や教師はこれを支持しなければならない。否認することは、生徒がその領域を逸脱する時かまたは学校の真の関心と必要に反する行動をとった時にのみ限られなければならない。本当に害悪がないような時は、生徒に彼らが間違っていたことを理解させそれを学ばせる。」と当時の国の手引に説かれている。それは、生徒の過失を未然に摘みとるのではなく、様々な活動における間違いや過失それ自体を学習過程の一部として予想し、教育的経験として生かす方向に教師が援助すべきだということである。まさに失敗を踏みこえて、「為すことによって学ぶ」過程が生徒会活動本来の姿である。
 改めて本校の建学の精神を顧みれば、新教育の在るべき姿を的確にまとめたものだということがよく分かる。創立当初、教師集団が抱く子どもらへの熱き思い、クリエイティビティを汲み取ることができる。現在の芝柏を担う生徒、教職員の全員がこの精神を引き継ぎたい。