■巻頭コラム
校長 佐藤 正行 
 自分の考えが人の考えとどうしてこんなに違うのだろうと思うことがある。よく話をすれば分かってくれるはずと思うものの、失望することもしばしばである。もちろん相手の考えを理解することも同じように難しい。いったい考えるとは、頭の中でどんなことをしているのだろうか。
 チェス、将棋、碁を、名人がコンピューターと勝負する。一生懸命に人は考えるのだが最新のコンピューターはなかなか手ごわい相手である。プロが負けようものなら新聞記事になりコンピューターの進歩の宣伝に使われる。最近そのような記事を目にしないのは、もう決着がついてしまったのだろうか? 演算を実行し結果を生み出すコンピューターは、本当に考えていると言ってよいのだろうか。考えるとは、論理的思考に従って推論をおこない、命題に対しよりよい結果を生み出す判断の過程とすると、『論理的』とはいったいどういうことなのか、『推論』とか『判断』はどのように行うのだろうか。コンピューターはどこで推論し判断しているのだろうか。インターネットの時代に、益々議論が重要となっている。「考える」とはどういうことなのかを思い巡らしてみたい。

1 議論と論
 議論が白熱するとしばしば醜い論争に発展する。コンピューターと将棋をして人間が負けたとき、人間は悔しい感情が湧きあがる。コンピューターは勝ったとしても嬉しい感情はなく、論理的思考というか演算が終了し、勝負の認識を出力するところで終わるのである。どうして人は時に議論が論争に発展するのだろうか。議論の過程では、論理的な思考を重ねて進めてゆく。論理の飛躍に直面し、そのプロセスを超えるとき、快不快の感情や自己防衛の仕組みが働き、それを妨げる議論の流れは、不快の感情が押し戻され排他的感情に結びつくのだろう。もう二度とあいつとは話さないなどとなるのである。時には相手の逆鱗に触れてしまうこともある。また、激しい議論をどんなに交わしても、議論が終われば、人に対して快不快の感情を持たないこともしばしばである。考える過程では、論理的思考と感情の二重構造を行き来していることは間違いない。テレビドラマの白い巨塔が再び高視聴率を取っている。財前教授の法廷論争はどんなに医学的専門的議論を重ねても議論は深まらず法廷論争は不毛に陥る。視聴者も苛立ちながら、次回こそはと見てしまう。視聴率が上がる仕組みはここにあると思う。最終回に近づき患者の家族の立場に立って考えを進めるとき説得力のある議論となってゆくのである。説得力のある考えはどうやらコンピューターのように感情を持ち合わせない論理的思考ではなく、感性に裏付けられた思考であることは間違いなさそうである。感情をコントロールしつつ、信頼関係を確認し、論理的な思考を積み重ねてゆくとき、論争は終結するのであろう。

2 因果関係
 「どうしてこうなるの」としばしば考える。「どうして学年末の試験の結果がこんなに悪いのだろう」とつぶやくとき様々な自分のことを振り返り結び付けようとする。不幸に見舞われたとき「何で私だけがこんなに苦しい思いをするのだろう」と落ち込むことがある。幼児期にやたらに「なんで」「どうして」と聞く時期がある。人間は、食欲があるのと同じように因果関係をもとめる欲求があると考えるのは乱暴だろうか。家族が癌に蝕まれたときのことを思い出す。様々な治療法が説明されても「この治療法を選べば治る」というような因果関係を結びつける根拠は見つからない状況に立たされた。完治した事例が一例でもあると、科学的ではなくてもその因果関係をしっかり結び付けてしまう思考回路が人間にはある。また、新聞記事で権威ある人や機関からの発信があるとそれだけで、強い因果関係を自分の中で構築してしまっていることがある。無意識にたくさんの因果関係を持って考えているに違いない。きっと人によってその因果関係が経験や知識によって違うのだろう。

3 確率論
 「車は安全である」という説明と「車は危険である」という説明は、まったく反対のことを説明しているように言葉の上では思われる。私たちにはどちらも矛盾なく受け止めることの出来る思考回路を持っているのはなぜであろうか。これは、事故が発生する確率をどのように考え、認識するかの問題であると思う。発生の確率がたとえば1%であっても、回避できない危険であれば低い確率と受け止め、回避できる危険であれば1%の確率は高い確率と認識してその回避の方法を考えるのだと思う。関東地方の直下型地震と東海地方の地震は、自分の力では避けられないと思うため、必ず来るといわれながら、普通に生活を続けるのである。私たちの考える過程は、同じ確率であっても状況によって大きく考えが変わるものである。

 私たちは、様々な背景の中で考え、人の意見とすり合わせる作業をしている。人種、民族、環境が違う国際社会での論議となればその背景もさらに違いが大きくなる。その中で、人の考えを理解し、自分の考えを伝えるためには、たくさんのものを積極的に吸収し、無意識の因果関係について意識化し再認識する必要がある。世界平和の問題、生命倫理の問題、経済社会の問題、地球環境の問題、精神衛生の問題など難しい問題が避けられない問題として立ちはだかっている。考えることを止めたとき、結局それらの問題に束縛され、悩まされることになる。皆さんはこの四月よりあたらしい学年に進級する。21世紀の社会の中でリーダーとなるであろう君たちなのだから、考える力を自ら磨き豊かな人生を創造して欲しい。