叱咤のような、激励のような……ある映画紹介によるはなむけ

 

私の好きな映画に「キャラクター」という題名のオランダ映画がある。1998年にアカデミー外国語映画賞やカンヌ映画祭でも観客賞を受賞した作品だからこの年のみならず映画史に残る作品といえるのだが、日本での上映(’98年10月封切り)は、少なくても首都圏では歌舞伎町の映画街の片隅の小さなスクリーンの映画館ただー箇所で、一部の評論家やあの緒形拳の絶賛にもかかわらず、一般的にはたいした評判にもならずにおわったと記憶している。17世紀オランダ絵画を想起せるほの暗く渋い色彩感からしてハリウッド映画とは別次元を思わせ、ある種の近づきがたさを醸し出しているのは確かなのだが、娯楽性に背を向けているわけでもない(それならアカデミー賞とは無縁なはず)にもかかわらず日本で一般受けしなかった理由は、おそらく誇張とは無縁の禁欲的な演出とテーマへの甘さ排した厳しいアプローチにあると思われる。テーマ自体は親子かかわりという普遍的な問題を扱っており20世紀初頭を舞台にしながら十分現代にも通ずる問題を問いかけている。しかもミステリー仕立てでアクション的な要素にも欠けてはいない。それにもかかわらず、また欧米で高く評価され、観客も動員しながらも、日本で人気を得ることがなかったというこの映画をとりまく状況は、ハリウッドものとは異なり観客への媚が皆無のオランダ映画についての馴染みのなさもともかく、この国の親と子のかかわりの抱える問題点をも浮き彫りにしていて興味深いものがあると思われるのだ。

映画の冒頭は衝撃的なものとなっている、最初のシーンはロッテルダムの港にある運河とそれに沿って並ぶ古びた高層倉庫群。事務所をかねるその一つに思いつめた表情の正装姿の若者が急ぎ足では入ってゆく。次のカットはその屋根裏部屋と思しき場面。だだっ広く薄暗い一室の奥の大机に、なぜかつば付きの帽子を深めにかぶり、書類をめくる老人の姿が薄暗い電灯に浮かび上がる。山高帽にコートを羽織ったその青年は老人のほうに突き進むなり、いきなりナイフを机に突きたてるのだ。そして自分が弁護士に就任した旨をまくしたて、「悔しいだろうが、あなたに会うのも今日限りだ」という捨て台詞を残して立ち去ろうとする気配を見せる。相手の巨躯の老人は動ずる様子もなく椅子に座って書類を見たままくるりと背を向けるが、青年が後ろを向いて数歩歩きだしたときはじめて「おめでとう」という言葉を口にし、正面を向いて立ち上がり握手を求めるしぐさをする。青年は一瞬意外な表情を見せるが、今度はそれを振り払うように激しくいきりたち「さんざん邪魔をしておいて」とののししり、老人の「協力だよ」という言葉にも応えず、踵を返して階段を駆け下りていったん建物を後にする。

このシーンはこれで収まったかに見えるが、画面はさらに衝撃的な展開へと進んでゆく。青年は道端から屋根の出窓を仰ぎ見ると、再び意を決した表情でその建物に入るやいなや階段を駆け上がり、再び屋根裏部屋に姿を現すと、真一文字に突き進んで机越しに老人の首めがけて飛びかかったのだ。宙に浮く青年の正面からの大写しに続き、次にくるのは乱闘の場面となるはずだが、期待とは裏腹に次に映し出されるのは「KARAKTER」のタイトル。そして映像はすぐに切り替わって、鼻の下や口元に血糊を付けたその青年がコートで顔を隠すようにして建物を出て、夕暮れの雨の街中を、歩き回る姿を追うものとなる。そこに出演者のテロップがかぶり暫く街中を進む映像が暫く続くが、青年はある建物に着くとガラスを割って中に入り込んでゆく。

次に続くのは、青年がその建物(それが生家であることは後にわかる)から警察に連行される場面。件の老人が死体で発見され、その容疑者として逮捕されたのだ。取調官は二人の刑事。老人の死体が安置される検死室の隣ではじまる尋問のなかで、二人の複雑なかかわりが長い回想場面の映像を通して明らかにされてゆく。

実はこの二人は、戸籍を共にしないながら実の親子だった。父に当たる老人は、高利の銀行も営む、冷酷非情な債権取立て執行官アレント・ドレイブルハーブン。そして、その家に仕える小間使いの女ヨバ・カタドローフを、ただ一度ながら、半ば強姦した末に生ませたのがこの青年ヤコブだった。妊娠を知るや男は女に結婚を迫るが、女はそれを拒否して家から立ち去る。男は居場所を突き止め、結婚を迫る手紙と共に養育費を幾度も送るが女は受け取りを拒否することを繰り返す。そんなやり取りが一年もつづいたあと、女からのとどめの「断固拒否」一言の後に男はようやく諦める。この間ヨバが何故拒否するのかは一切説明されず、沈うつながら怒りを秘めたような毅然とした面持ちが繰り返し映し出されるだけである。

父無し子のゆえに「娼婦の子」といじめられて育ったヤコブが、母が明かそうとしない父の存在を初めて知るのは、自宅のアパート前の運河の場面。ずぶ濡れ姿で舟から岸に上がろうとする男が振返り際にヨバに手を振る様子に、子供心にヤコブがただならぬものを感じたことがきっかけとなる。その日以来少年は日課のように運河の橋の上にたたずむことをくりかえすが、ある日ヤコブが運河を眺めるとはなしに石造りの欄干の上に粗末なおもちゃを並べ遊んでいる時、突然その大男が運河を見つめるように体を接するばかりに並び立つ。男は無言のまますぐに立ち去るが、ヤコブはその後をつけ、その男が執行官ドレイブルハーブンの表札がかかった建物に入ってゆくのを確認し、その屋根裏部屋の窓に遠く自分を見下すその男の姿を見つけることになる。その直後ヤコブはパン泥棒の少年の一人と間違えられて警察に連れ込まれることになるが、その時ヤコブは親の名としてそのドレイブルハーブンをあげる。警官はあわててドレイブルハーブンを呼ぶが、ドレイブルハーブンは身に覚えのない子だとだけ告げて立ち去る。ヤコブは意外な展開に当惑しながらも、引取りに来て事情を知ったはずの母の態度から、男が実父であると悟る。そしてそれとともに見知らぬ父への憧れは急にしぼみ、以来父のことを詮索するようなことをしなくなる。

それにかわりヤコブが熱を入れたのは英語の学習だった。いじめっ子を半殺しの目に合わせて以来小学校に行かなくなっていたヤコブの楽しみは、引越し先のアパートの階段下の物置から出てきた英語の絵本やT巻までのオックスフォード百科事典数巻に目を通すことだった。もちろん最初は絵との照合によって単語の意味を理解するだけだったが、やがて構文を理解し、英語放送を聴いては発音を覚え、ついには所持する英語の百科事典の全てを暗記するまでになる。もうそのころにはいい青年になっていたヤコブは職を求めて転々とすることになるが、独り立ちを促すかのように、ヤコブの部屋を若い下宿人ヤン−共産党員でヤコブの兄貴分的存在となる−に無断で提供してしまったヨバの仕打ちにも促されて、ヤコブは自営業をすべく売りに出たタバコ店の権利を在庫品とともに900ギルダーで購入する。それはヨバを見返すための向こう見ずな企てなのだが、資金源があるわけもないヤコブがそうできたのは無担保ながら高利で貸し出す「国民信用銀行」から融資を得たからだった。

希望を胸に商売を始めたヤコブが絶望のどん底に陥るまでに時間は要らなかった。地下倉庫におかれた在庫のはずの包の中身はすべて藁屑だったのだ。家賃滞納と負債返済の目どが立たないヤコブはたちまち「国民信用銀行」から破産請求を受ける身になったが、この絶望の淵が人生に転機をもたらすことになる。破産管財人となるハンクラー弁護士をたずねた法律事務所で、顧客の英国紳士を相手に抜群の英語力を発揮する機会を得たヤコブは、ハンクラー弁護士の書記として事務所に就職することができたからだ。

そこで好意を交わす女性にもめぐり合って、人生ではじめて日の当たる場所に立ち、ようやく上昇志向を満たす端緒を得たヤコブだが、そこにまた暗い影がさす。その法律事務所にドレイブルハーブンが現れたのだ。実はヤコブがそれと知らず頼った「国民信用銀行」は彼の銀行だった。一時はハンクラー弁護士の差配で無産と無収入ということで破産申請棄却の判決を受けたのだが、ヤコブに収入があるという知らせ(彼を嫌う事務所の上司の密告による)をうけて、銀行が再び破産申し立てを行ったのだ。申請が認められればヤコブは全てを失うことになる。しかもドレイブルハーブンは資産調査の為に実家を訪れてもいた。息子と知った上で破産に追い込もうとしたのは明らかだった。

ヤコブは自棄酒を飲みふらつきながらドレイブルハーブンの事務所を訪れる。ドレイブルハーブンは対応もそこそこに車に乗って走り去るが、車を追って乗り込んでまでむごい仕打ちのわけを執拗に尋ねヤコブに対して、今回に限り36回払いの返済を受け入れようと答える。「違うんだ」とわめくヤコブに対して、ドレイブルハーブンは「それでも嫌なら」「構わんよ」と言いい、なんとナイフを手渡すのだ。呆然とするヤコブの手からナイフを取るとドレイブルハーブンの乗る車は雨の中を走り去った。

破産を巡る裁判は負債を分割して1年半の間給料から差引いて返済するという形で決着する。破局は避けられたものの辛く惨めなものとなったこの期間、ヤコブは弁護士の資格をめざし懸命に働き学んだ。そして1年半後の1924年2月1日負債の返済は完了するのだがヤコブは奇妙な行動に出る。なんとドレイブルハーブンの元に出向きに2000ギルダーの貸付を申し出るのだ。お金は翌朝ある条件付で貸与された。8パーセントの利子ながら

ドレイブルハーブンの望む時いつでも全額返済するという条件だ。それをいぶかる取調官の尋問に、ヤコブは「彼に挑み勝ちたかった」と答える。破産が回避できたのはドレイブルハーブンの特別の計らいのお陰だということにヤコブは敗北感を味わっていたのだ。ヤコブには今回は破産にはならない目算があり、それを法律学校の受験勉強と語学の授業代にあてるのだが、受験も間近に迫るとき再びドレイブルハーブンが壁となって立ちはだかる。ヤコブを嫌っていた上司が経費使い込みの発覚によって事務所を首になり、腹いせの一つの手段としてドレイブルハーブンを焚きつけたのだ。ドレイブルハーブンは3日後の完済を求めてきた。できない場合は破産申立てということになる。

自信を持って臨んだその裁判だったが、ヤコブは思いがけない材料を持ち出されて窮地に追い込まれる。例の百科事典は最初の破産請求の際抵当品となっていたのだが、ハンクラー弁護士がヤコブの宝物ということで銀行側の弁護士から密かに買い取ってヤコブが手放さないで済むようにしてあげていたのが仇となった。ドレイブルハーブン側弁護士はいったんドレイブルハーブン側に押収されたはずのものをヤコブが所持していることをとらえて負債と見なしし、今回のとあわせて二種の負債があるということで破産請求を正当なものだと主張したのだ。

ドレイブルハーブンの執行官としてあるいは債権者としての債務者に対する狂気じみた過酷さは映画の随所で描写されている。建物立ち退きの強制執行の際、瀕死の病人を自ら病床ごと外に投げ出す場面。共産党員が銃を持って立てこもるバリケードの中に武装警官隊の静止を払いのけ丸腰で押し入って、銃弾を浴びながら強制退去令状を戸口に打ち付ける場面(共産党員はドレイブルハーブンとにらみ合う中警官隊によって射殺される)。ヤコブとヨバのまえにずぶぬれの姿を見せる例の運河での場面は、逃げ去ろうとする債務者の舟を止める為に運河に飛び込んだ後の出来事だった。そして職務に立ち向かう際には必ず執行官メダルをおもむろに取り出して胸に懸け、自らの職務への限りない誇りをみなぎらせるのだが、こうした自らに対するゆるぎなき信念、かたくななまでの強烈な意思、一瞥しただけで忘れようもない圧倒的な存在感、そして非情さ、冷徹さは、ヤン・デクレールというベルギー人の俳優によって十全に表現されている。猫背の巨体に、逆正五角形そのままに大きく張った頬、鋭く突き出す顎の怪異な顔を載せ、常に唇をへの字に結び、冥界からこの世を覗き見るような暗く無機的な眼差しによってあたり睥睨するその様は、一言も発することなくそのキャラクターを観客に知らしめるのである。

こうしたドレイブルハーブンの存在によってより切迫感をあたえられたこの窮地は、案に相違してハンクラー弁護士によって容易に解決の見通しが示される。百科事典は自分からの贈答品ということで切り抜けようというのである。そしてその作戦はうまくゆくのだが、自信に満ちた自分の目論見をたやすく崩されただけにヤコブの敗北感は一層強く、一時は「負けは負けだと」自暴自棄となり、その提案をかたくなに拒むほどだった。ハンクラーの怒るような説得で気持ちを改めたヤコブだが、破産申し立て申請棄却の判決を得ても勿論、入学試験に合格してさえも気分は一向に晴れない。そして合格証を手にして向かったのはドレイブルハーブンの事務所の方向だった。

細い路地を進むとの奥からその当人が姿を現す。ドレイブルハーブンは、もう構うなと告げに来たというヤコブを地面に強烈に突き飛ばし、「私に何かしてみろ」とあのナイフを投げつける。しかしながらナイフを拾いながらもヤコブがなしえたのは逃げるようにその場を立ち去ることでしかなかった。屈辱にまみれて舞い戻った法律事務所ではあったが、彼はそこで暖かい祝福を受ける。心のわだかまりは残ったが、その後なにもないまま2年の年月が過ぎていった。ヨバはその間に亡くなる。そして弁護士就任式の日、ヤコブが向かったのは再びドレイブルハーブンのところだった。勿論懐にはあのナイフをしのばせて。そしてそれが映画冒頭のシーンにつながってゆくのはいうまでもない。

映画は、その冒頭場面を再び繰り返す。ヤコブが飛び掛るところ終わっていた場面も、とまることなく二人の格闘シーンを暫く映し続けることになる。ヤコブははじめこそ巨漢ドレイブルハーブンによって散々たたきのめされ、血だらけになり床に倒れこむのだが、助け起こそうとするドレイブルハーブンの鼻に噛み付く(というはなはだ卑怯な手段で)形成を逆転し、椅子や机などで殴りつけ、挙句は倒れ伏したところに巨大な木製の書棚を投げ倒して身じろぎも出来なくする。まるで恐怖の対象が二度と起き上がることがないように。そして馬乗りになり、ナイフを握って手をふりあげるのだが、次の瞬間あわててナイフから手を離す。ドレイブルハーブンがヤコブの手を握り、自分の胸を突き刺そうとしたのだ。そして虫の息の口からは「助けてくれ…ヤコブ」の呟き。後ずさりするとナイフを落としヤコブは逃げるようにその場から立ち去る。それに続くのが、屋根裏部屋での中断シーンに続く、口元に血糊をつけた青年が建物を後にする場面であることは言うまでもない。

そして場面は再び警察の尋問室に戻る。「彼はまだ生きていたのだね」と尋ねる刑事。ヤコブの「はい」という返事に別の取調官の「嘘だ」という罵倒。しかし刑事は得心したかのようにヤコブを検死体のもとに導き、死体が発見されたのは屋根裏部屋ではなく一階の吹き抜けの下であり、死因は首の骨折と腹部に突き立てられたナイフによるものであること、ヤコブが目撃されたのは午後5時だが、致命傷を受けた時刻は午後11時以前には考えらないことを語る。

それに続くのは再び屋根裏部屋の場面。洗面所の鏡の前で手を洗い、顔の傷を拭くドレイブルハーブン。机の前で酒を飲み、帽子を被りなおし、昇降機用に作りながら未だ設置されないままの吹き抜けにゆっくりと近づき、おもむろに例のナイフを取り出して自分の腹を激しく突き刺す。そして吹き抜けに身を投じる。ドレイブルハーブンが吹き抜けに吸い込まれ、床にたたきつけられたシーンの後、場面は再び尋問室へ。はっとして刑事をみつめるヤコブ。「“事故”だったと?」との刑事の言葉に呆然としたヤコブがかすかに頷く。しかしながら事の真意が明らかになるのにはもう暫くの時が必要だった。映画には既にいくつかそのための伏線が張られている。

先ず冒頭の屋根裏部屋でのやり取りの中での「邪魔立て」にたいするドレイブルハーブンの「協力だよ」というつぶやくような返答。さらに合格証を手にあらわれたヤコブを軽くあしらった直後にヨバの前に突然現れた際の言葉。その時ドレイブルハーブンはドアをあけるなりヨバにむかっていきなり「いつ結婚式する?」と問いかけるのだが、ヨバはそれには答えず「なぜあの子に構うの?」と逆に問いただす。それに対してドレイブルハーブンは「苦しめるだけ苦しめて最後に鍛えるのさ」と答える。ドレイブルハーブンのヤコブへの過酷さが単なる嫌がらせのようなものではないことはもはや明らかだろう。

さらに映画はドレイブルハーブンの底知れぬ孤独を徐々に垣間見せてゆく。ドレイブルハーブンなりのヨバへの求愛はついに実を結ぶことはないのだが、拒まれるごとに昂進するようにみえる、強制執行の際にふるわれるドレイブルハーブンの神をも恐れぬ蛮勇は、報われることのない人生への絶望から導かれているとしか思えないように見えてくる。ハンクラー弁護士は、その勇敢さをたたえる法律事務所長に、そうではなく「人生に無関心なのだ」と答えるが、その「無関心」の内実を理解できるのは観客だけでしかないのだ。そしてヨバには自分の受け入れを望みつつも、ドレイブルハーブンはヤコブに対しては決して理解を求めない。法律学校合格の際の、ヤコブが単に自分を挑発に現れたのではないということを十分理解しながらも、ドレイブルハーブンはヤコブにナイフを投げつけるのだ。そこにはヤコブの固い信念があることを感じさせる。それは、ヤコブの男としての成長は自分を超えることによってこそ成就されるという思いにちがいない。だから、少年ヤコブが窃盗容疑で警察に捕まったとき、ドレイブルハーブンが「身に覚えのない子だ」といいはなったのを責任逃れとみなすことはまったく当たらない。彼は困難な道を約束されているはずのヤコブが一廉の男として強く生きてゆくためには親をたよってはいけないことを痛感させるべくまず突き放したととらえるべきなのだ。そして、成長後のヤコブに対する一連の過酷な仕打ちのかずかずは、いわばヤコブを強く育てる為の、孤独と、さらには死を賭した大芝居といえるだろう。

弁護士就任の日、屋根裏部屋に駆け上がってきたヤコブにたいして「おめでとう」といって握手を求めたのは、そうした孤独な人生に耐え切れなくなったのだろうか、それとも自分の役割は全うされつつあると思ったからだろうか。そんなことを知る由もないヤコブによって、ドレイブルハーブンはここでまた挑戦の受け手となり、組み倒されるという役割を演じることになるのだが、ナイフを握るヤコブの手を握っての「助けてくれ…ヤコブ」のつぶやきは、その役割の終焉宣言をかねた“千年の孤独”の清算を希求する魂の叫びといえるだろう。しかしながらドレイブルハーブンのそんな思いを全く理解できないままヤコブは、一縷の満足感とやるせない想いを胸に建物を後にする。

ヤコブがドレイブルハーブンの真意を知るのはようやく映画も最後をむかえる場面である。殺害の疑いは晴れ、迎えに来てくれたヤンとともに警察署を出ようとするヤコブに刑事は書類を手渡す。それはドレイブルハーブンの弁護士からのものだった。中味はドレイブルハーブンの全財産リスト。ヤコブはざっとそれに目を通し、子として相続するという当然の権利をえたことをさも当たり前のことのように受け止める。一方ヤンはその書類に目を通し推定総額のあまりの大さに目を見張って、丹念にリストに眼を通しはじめる。すると驚くヤンをからかうように、ヤコブは先んじて後付文を推定して読み上げる。「弁護士と連絡を取るように。敬具“ドレイブルハーブン”だろ?」「いや、違うぞ」と制するヤン。ヤンが書類をヤコブに見せると同時に映像はまた屋根裏部屋のドレイブルハーブンを映し出す。

顔の血を拭取り、身なりを整えて机に向かうドレイブルハーブン。書き記す書類の最後のサインの部分が大写しとなる。果たしてそこに記された文字はDREVERHAVENではなかった。そこに綴られたのは、Vaderという文字…。画面は再び切り替わり、書類を見て呆然とするヤコブとそれを感慨深げに見つめるヤンの姿。顔を上げて遠くを見つめるヤコブの視線に遠ざかる男の後姿が浮かび上がる。振り返ったその顔は、ドレイブルハーブン=父だった。

映画はこのシーンで終わる。この作品のテーマが男子の自立を巡る父性のあり方を厳しく問うものであることは明らかだろう。その父性愛の持つ二つの面を、この作品では二人の登場人物に受け持たせている。その一方がドレイブルハーブンであることは言うまでもないが、庇護者としての側面を担うのはハンクラー弁護士となっている。彼の支えがあってこそヤコブはドレイブルハーブンと対決する足場を得るのだが、ヤコブが法律学校を卒業する間際、ハンクラー弁護士はニューギニアに赴任先を見つけて遠く旅立ってゆく。あたかも人生の壁は、最後は自分一人で乗越えるべきものであることを知らしめるかのように。そして子離れにかけてはドレイブルハーブンにも負けるとも劣らない意思の強さを貫いたヨバも亡き後、ドレイブルハーブン一人が、生の厳しさを身をもって伝えるという父性の一方の属性を知らしめるものとして、また種として生きる宿命のつらさを知らしめるものとして、命を賭してヤコブの前に立ちはだかる。そしてドレイブルハーブンは死んでゆくのだが、父というものの一つのあるべき姿「キャラクター」はヤコブの中に確実に根付いたのである。

1938年に書かれた小説に基づくこの作品が流行らなかったのは、その語り口が今の日本には辛口すぎた為なのだろうか。それはともかく、この映画は、ある種の動植物の生態が端的に示すように、世代の継承とは、親が一命を賭してなしとげる厳かな営みであるということを想起させるとともに、私も含め、庇護一方に偏り、厳しく突き放すことによって子を鍛えるという面をあらかた忘れてしまっているかのように見えるこの国の父性のありかたを前にして、それを寡黙ながら厳しく問いただす黙示録として、「父殺し」という神話的モチーフをも潜ませながら、あたかもこの物語の主人公のように峻厳と屹立している。

                                                                           平成20年2月29日