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芝浦工業大学柏高等学校の誕生

開校以前

 本校は昭和55年4月の開校です。最初の予定地は北柏の県立柏高校の近くでした。
その土地はゴミ埋め立て地のため、5年以上かかるとのことで、現在の増尾になりました。昭和55年4月開校は、千葉県が補助金を出して、私立高校の誘致を5ヵ年かけた最後の年でした。 新設高校でないと補助金がでなかったので、千葉県には新設での届出でしたが実態は、 芝浦工業大学付属第一高校の移転でした。

では付属第一高校はどこにあったのか?田町の大学の中で、大学と一緒にありました。高校の隣の教室が大学の教室・研究室との環境。こんな高校は日本では例がありませんでした。グランドは全く無く、狭い中庭しかなく集会は外で、冬は寒く雨が降ると中止になりました。それでも当時の卒業生は、大人のせいか不満も言わず懐かしく思ってくれています。

柏高校開設準備室(先発隊結成)

 昭和54年6月、佐々木校長以外に付属第一高校の教員8名、鈴木照、菅井、大山、長田、湯沢、 矢吹、福川、丸山が結成されました。大学からは、内藤先生・佐竹先生・木邑先生が参加されました。事務所は「そごう」の駐車場の中にありました。8名は付属第一高校の授業もあり、その他に中学に訪問しての開設の PR、各地で中学教員を 集めての説明会の実施と大変でした。説明会は柏、野田、取手、松戸、東京、津田沼、等と各地で実施しました。津田沼の場合、台風で電車が止まり中止になり、来場した先生を無事に送るのが大変でした。説明会は、その案内状の作成・発送・準備に時間がかかり毎日夜遅くまでかかりました。

本校の建学の精神である「創造性の開発と個性の発揮」もここで決められました。夏休みは、中学訪問と学校案内・入試案内の作成、スーパーや本屋・喫茶店での開校のポスター貼りのお願い。冬休みは、入試準備でほとんど毎日が仕事でした。
こうした努力の結果 「1680 名」 の 応募者を得て、本校のこれまでの入試の中で、最高の応募者になりました。

田町の付属一校からの引越し
記念撮影

 入試が終わっての合格発表は、歩留まりのデータが全く無く苦労しました。結局、合格発表の前日は徹夜での作業となりました。現在のようにパソコン・プリンターなら短時間で終わるものも、当時は無かったため番号を判子で押していたため時間がかかったのです。入試の時は、まだ校舎が無かったので、柏中学を借りてのため、柏中学の先生にもずいぶんお世話になりました。それに試験監督には、多くの大学の教員も手伝ってくれました。

また、田町の付属一校からの引越しには、付属一校の生徒会の生徒が手伝ってくれました。