8,ユダヤ・アラブの主張の違い

 

  ユダヤ側 アラブ側
エルサレムの聖性 エルサレムは街全体が聖地であり、西壁が最も神聖な場所の一つである。 エルサレムはムハンマドが天に昇って神と会い、重要な命を受けたイスラム教第三の聖地である。
  (反論)それは伝承に過ぎない。コーランには名指しでエルサレムのことは書かれていない。 (反論)セム族全体の聖地はエルサレム以外にない。
パレスチナの帰属 ユダヤ人はローマに追い出された後、パレスチナに戻った人々もいた。19世紀にはエルサレムでは多数派だった。 アラブはムハンマドの時代より千数百年に渡ってパレスチナを支配してきた。
  (反論)パレスチナを支配していたのはアラブ系の王朝だけではないし、パレスチナに住んでいたアラブ人の数は少なかった。 (反論)ユダヤ人居住者はごく少数。ずっとイスラムが支配していたことは確かである。
ユダヤ人の郷土建設(シオニズム) ユダヤ人は世界で迫害されてきた。独自の国家が必要であった。 千数百年間アラブ人の住んでいたパレスチナに国を作るとは、理不尽な事である。
  (反論)後進地域だったパレスチナを開発したのは20世紀前半に移民したユダヤ人。多くのアラブ系パレスチナ人はパレスチナの発展後に移民してきた。 (反論)独自の国家ならば別の人のいない所に建設すればよい。ユダヤ人はイギリスの帝国主義の先兵だ。
  (反論)パレスチナの大地はユダヤ教唯一の聖地である。 (反論)パレスチナは荒廃などしていなかった。オレンジなど有名な生産物があった。
第一次中東戦争−パレスチナ難民 アラブ諸国が突然イスラエルに攻め込んできた。難民は勝手に出て行ったのだ。 イスラエルの建国など元から認められるはずがない。パレスチナはアラブ人のものだ。イスラエルはパレスチナ人をヤシン村で虐殺した。
  (反論)それは違う。アラブ側の避難勧告の放送によって、パレスチナ人はイスラエルを出て行ったのだ。 (反論)ヤシン村での虐殺死体は国際赤十字の職員にも目撃されていることだ。虐殺を恐れてパレスチナ人は逃げ出したのだ。
  (反論)確かに小規模な虐殺はあったかもしれないが、アラブ側の武装組織によるユダヤ人虐殺だってあった。そもそもアラブ側が先に戦争をしかけてきたのだ。 (反論)パレスチナ人は戦争に勝ったらすぐに戻れると思って出て行った。我々は逆に、パレスチナに留まるように放送していたのだ。
  (反論)パレスチナに留まるように放送してなどいないはずだ。 (反論)イスラエル側の攻撃によって、独立宣言以前から内戦状態に入っていた。
自爆テロと掃討作戦 一般人まで無差別に殺すとはけしからん。 仲間をイスラエルに殺された者が自爆テロを決意するのは当然。
  (反論)パレスチナ人がイスラエル人を標的としたテロや投石を行うから鎮圧せざるを得ない。 (反論)それはこっちの台詞だ。イスラエルが我々を迫害し、弾圧するから抵抗運動を行うしかないのだ。
  (反論)鎮圧にゴム弾を使用するのは当然。パレスチナ人がテロを行うのは宗教的な問題だ。それには武力で対抗するしかない。 (反論)投石運動やデモに対して実弾発砲すること自体おかしい。また、報復の名目で家を潰された人々が沢山いる。